いまさらながら「れいわ一揆」と「君はなぜ総理大臣になれないか」を見た

この二本は政治をめぐるドキュメンタリー映画だ。どちらも2020年に公開された。ある人物の選挙活動を追ったドキュメンタリー映画である。日本の政治に対する停滞感、強い不信感がこれまでに無いほど高まっている状況の中でこの二本の映画が同じ年に公開されたのは偶然ではいと思う。言葉がねじ曲げられ、横柄な態度の政治家とも呼びたくないような政治屋ばかりがメディアを賑わしている中で本当の政治ってなんだっけって忘れてしまいそうになってとても悲しい。どちらも野党から出馬した候補の選挙活動を追った映画であるが共通点と相違点が気になった。

まずは「れいわ一揆」とは

れいわ新撰組の候補である安富歩さんを中心とした二週間の選挙活動の記録。安富さんはマック赤坂外山恒一などの選挙活動を通じて政治の枠組みを揺さぶりをかけてきた人たちに影響を受けてきたという。正攻法ではなくとてもラディカルな形で運動を展開していた。活動は一見エキセントリックだが一番の主張は「子供を守る」というごく真っ当で、安富さんの行動の全てに論理的な裏付けがある。他にもれいわ一揆では重度障害を持った方を候補に据えたりと今までの常識に囚われないやり方で選挙運動が展開されていく。子供を守る社会は人間が人間らしく振る舞うことで達成されるという。全国を演説で回っていくうちに大都市の異常性みたいなものが浮かび上がってきた。

「君はなぜ総理大臣になれないのか」とは

32歳で官僚を辞して地元香川一区から議員になることを決意した小川淳也の十数年の選挙活動を追ったドキュメンタリー。れいわ一揆と違い代議士となってからのことがメイン。小川さんは今の日本には何が足りなくてこうれば問題が積み重なった現状を変えられると信じて走り回っている。しかし彼には盤石な基盤があるわけでもなく、総理大臣になって日本を変えるという夢を抱きながらも地元でもギリギリで当選を続ける。さらに具合の悪いことに同じ選挙区の自民党の候補が四国のマスメディアのオーナー一家の三世議員である。メディアの独立性はどこにいったのかと見ていて呆れてしまった。という絵にかいたような地域の有力者と自民党が結びついて支配層とっているという構図である。そんな中でも彼は当選することや総理大臣になることにこだわっている実務の人である。ほとんどのことは100対0で決まるのではなく51対49で決まる、そこで決まった51の側の人間は49の最大限尊重しなければならないというシーンが印象に残った。

共通点

どちらも真っ当な主張をするが故にメインストリームになり得ない。お偉い人に取りいったり、自分の利益のためならいくらでも嘘をつけるとうい人でしか成り上がれない世の中になっているからである。また本人がいくら有能で懸命になって選挙活動をしても周りの人にとって大きな暴力になりうる。どちらも対自民党(搾取する側)である。

違い

れいわ一揆 政治の枠組みを外す  素人だからできること

君は    内側からジタバタする 専門家としてできること 

木と物づくりについて考えた

 

木工作品の多くは作る側の都合が目についてあんまりきの持っている生命力が感じられないものが多い気がする。高度な加工技術を発揮したいとかこういう形が加工しやすいとかそう言うことが伝わってきてしまう。木と人は途方もない時間の付き合いがある。特に日本人にとって木は身近な存在で木は斯あるべしという形が手を動かしていると無意識のうち出てまう。伝統的な技法は当時最先端で高度に発達していても現代の空気をどこかに入れないと凝り固まってしまう。技術が全面に出てしまい、作品を見ているというより技術を見ているように感じてしまう。作品を作り上げるには無論それを成り立たせる技術も必要だが精神性が特に問われる気がする。それは手を動かす前の作品を作るモチベーションであり、仕事に対する真摯さでもある。目の前にしてそこにある作品は氷山の一角でしかないのだ。

今年の8月に国立新美術館で開催されていた古典x現代展で江戸初期の僧侶円空の仏像と現代の彫刻家棚田康司さんの彫刻を対比されて展示されている部屋があった。存在感は円空の仏像が圧倒的だった。仏殿という背景を剥ぎ取りホワイトキューブの中でも飛騨の奥深い山を感じさせた。そこには縄文以来、日本列島に地下水のように流れているアニミズム信仰と釈尊への信仰が混ざり合った日本独自の信仰の形態がはっきりと伝わってきた。ああなるほど、神仏習合とはこういうことなのかと。

何百年と拝まれた仏像と現代の彫刻を比べるのは無理があるかもしれない。信仰は個人を超えたところにある。木という人間の存在を超越したものと対峙する時、自然への畏敬の念が起こらなれば木を生かすことができないのではないだろうか。そこにはある種の宗教性が帯びてくる。シェーカー教団が作り出した椅子や道具もジョージナカシマの椅子も信仰と切っても切り離せない。木を物づくりする上での素材、プロセスとしか考えられないようではダメだろう。技巧か精神性かという問題を突き詰めて考えると結局そこに行き着くのではないだろうか。

 

「庭とエスキース」を読んで

奥山淳志 著

北海道の新十津川で一人丸太小屋に住み自給自足を送る老人、弁造さんの元に通い共に過ごした写真家のエッセイ。弁造さんは大正生まれで北海道開拓時代の最後の世代だ。巨木が生える原野を家族で力を合わせて人々が暮らせる土地に作り上げてきた。弁造さんにとって大地に暮らすことのリアリティは都市で暮らす若者なんかと比べものにならない。食べ物を手に入れようとしてもまず土地の改良から始めなければならなかったのである。自給自足をしていても大量生産大量消費の資本主義を完全に否定するわけでもなく、新しく便利な技術への関心は持っているし自給自足は楽しくなければならないと言う信念を持っている。

エスキース

弁造さんは本気で絵描きを目指していた青年だった。通信教育で農作業の間で肖像画を描く技術を身につけ、農閑期には出稼ぎの合間を縫って遥々北海道から東京まで絵を学びに行った。しかし家族の問題で絵を描いて生きていくことを諦めざる終えなくなる。再び筆をとったのは歳をとってから。弁造さんは何度も何度もエスキースを繰り返し、本画にまでなかなかたどり着かない。膨大なエスキースから選びぬかれた一本の線。完成しない絵と向かい合う日々。エスキースは思考の過程が現れる。その線から書いた人が何を考え、何を感じてその線を引いたのかが生々しく刻まれる。エスキースは完成ではない。弁造さんは終わらない一枚の絵を描き続けていたのだ。

弁造さんにとって庭は四季の彩を与えてくれる場以前に大切な薪や食糧を手に入れるための場である。建材のためのカラマツやメープルシロップを取ろうとして種から育てたサトウカエデまで植えてある。貴重なタンパク源としてコイやタニシを取るための池。生きていくために必要なものは庭で作られる。弁造さんは現代社会がうまく機能しなくなった時のために誰かにこの庭が役に立って欲しいと手入れを続けていた。一から暮らしを作ってきた弁造さんだからこその思いではないだろうか。

写真と距離

文章を読んでいると自分の心の中に弁造さんが本当に浮かんでくるかのようだった。写真は過去の一瞬を留めておき、現像する時に再び切り取った一瞬として浮かび上がる。ファインダー越しに世界を見ている写真家と世界の距離と奥山さんを通して弁造さんを知るという距離感があることである意味でより鮮明さあるいは不確実さを生み出しているのではないだろうか。遠い誰かの日常、考え方が肌で感じられる。

「バトルロワイアル」を見て

深作欣二監督

2000年公開

 仁義なき戦いを見てから深作作品にハマってしまった。彼の作品のカメラワークのダイナミックさが好きだ。ライトノベルやアニメで一時期流行った多くのバトルロイヤルものがこの作品の影響下にある。日本のサブカルチャーに多大な影響を与えた作品である。この作品は今回初めて見たのだが何回か見たことある設定、シナリオが散在した。もちろんこの作品が元ネタである。ついさっきまで友達だったクラスメイトがゲームが始まると殺すべき敵となってしまう。傷つかない場所でのうのうとしている権力者に若者同士が殺し合いをさせられるというテーマは仁義なき戦いのことから変わっていない。深作欣二監督の反骨精神が70歳まで貫かれている。伝えたいことは変わらずに社会が変わっていき、それに従って表現も変わってくるとインタビューで答えていた。

 生徒にナイフで刺された上にクラス全体で授業をボイコットされた中学教師北野が生徒を矯正するするためにBR法を適用させる。北野のプライベートも悲惨だ。家族には嫌われて娘から帰ってこなくていいと電話で告げられる。日本人の大多数は北野でもなく理不尽な状況でも頭を使ってなんとか生き抜こうとする生徒達でもなく想定外が起きると何も動けなくなってしまい、北野の命令をただ黙って聞いているだけの軍隊なのではないだろうか。思考停止に陥っている大勢の大人を軍隊として描いているのではないだろうか。北野に生徒たちは理不尽な状況に追いやられるが北野もこの現実に対して絶望している。

現実の社会では勝ち逃げしようと必死に他人を出し抜いている連中も幸せそうではないし、そんな奴らにこき使われている人たちだって尚更だ。そんな真面目くさって社会を見てばかりいるとネガティブ思考が染み付いて鬱になってしまう。しかし、深作作品にはどんなにグロテスクなシーンがあったり、シリアスでどうしようもないシーンがあっても映画は喜劇であるという精神が通底している。臨場感あるカメラワークで血が吹き出しめちゃくちゃに殺されても、なんだかギャグのように感じてしまうのだ。社会の表層は不条理に満ちていて権力者の都合でクラスメイトと血と血を洗う戦いをしなければならくなった。そんな戦いを生き抜いても社会に居場所があるわけではない。しかし血みどろの戦いをギャグとして描くことで生きるということそれ自体は喜劇であると言う深作監督からのメッセージが聞こえてくる。

なんだかんだでもう7月になってしまった。一年の半分が過ぎた。暑くなってきたが白州は暑さの中にもまだ爽やかさが残っている。相変わらずコロナウイルスの感染者は増えている。検査をしていなかったからこれまでは数が少なくて、いまはしっかり検査しているから数が増えているとか言っている人がいるけど数が増えていることには変わりない。予想されていた通り感染者は減ることがないこの状況は一年から2年ほど続くだろう。冬が終わりかけていた頃に日本でも流行り出したがもう夏が始まろうとしている。自分の中での時は止まったままだ。

飽き性

自分は飽き性なのだ。特別に何か一つに熱中することができない。ある一時期なら熱中できるのだがある程度できるようになったり、その世界を知ると別の方へ興味が行ってしまう。小学生2年生の時卓球を始めてた。それは中学三年の夏まで続いた。卓球ではプロになろうなんて毛頭考えていなかった。何と無く始めて時間が経ってもあまりうまくならなかった。全く下手というわけではなかったがそこそこで終わってしまうのである。また技術や道具には興味はあるものの勝ちということにあまり拘らなかったのかもしれない。よくカタログを眺めていた。新しい商品が出ると使うわけでもないし使いこなせる具量もなかったがワクワクしたものだ。でも何故だか高校で卓球を辞めてから夢で卓球をしていた時の記憶や当時の友人がよく出てくるのである。それは今でも続いている。やめたことに未練はないのだが繰り返し夢で見るのである。6年半続いた

また小学生の頃アクアリウムにはまった。小学生の小遣いで買えるものなどたかが知れるがADAのネイチャーアクアリウムに憧れていた。魚を買ってきては殺し、水草を買ってきては腐らせていた。時間があれば熱帯魚の図鑑を眺めていた。当時町の図書館で一番熱帯魚の図鑑を借りていた少年だったと思う。近くの川に探しに行けば魚はいるのだが私はインドア少年だったので本の中の異国の魚に憧れた。一度熱が冷めて水槽を放置気味だったのだが中学生の頃またお年玉を叩いて水槽をリニューアルした。その水槽もまた進学で家を離れてしまったので放置されついにはゼロに戻した。今でも生き物は好きなのだがなぜそんなにも水草水槽に惹かれたのか自分でも疑問に思ってしまう。自然を見ていて癒されたいという気持ちが小学生のうちからあったからのだろうか。これも6年くらいだろう。

中学生になるとギターを弾くようになった。バンドを組んで演奏するのではなく一人部屋で練習していた。一個上の友達でB’zが好きでギターを引いていたが二人ともギターだったのでバンドにはならなかった。当時はボカロ全盛期でそこから音楽にはまっていった。邦楽ロック界隈ではオルタナロックが流行っていてその辺を掘っていくと90s、0sのアメリカ、イギリスのインディーバンドが好きになっていった。こんな田舎で自分の聞いている音楽をわかってくれる人なんていないだろうと思っていたので布教するという考えはなかった。一人でしこしこ好きなフレーズを部屋で引いているだけの日々だった。高校になると軽音学部があったのでやっとバンドができた。コピーバンドでクオリティは高くなかったが今思うとそれなりに楽しくやっていたと思う。当時は自分たちよりうまいバンドがいて引け目を感じながら演奏していた。また美術部との兼部だったので自分の居場所じゃないという気持ちが部室に多少感じていた。ツタヤにおいてあったフリーペーパーに書いてある高校時代に結成したバンドが上京してメジャーデビューなんて話に漠然と憧れながらバンドをしてた。大学になって自分はうまくないことへの引け目やサークルに入ることへあまり興味を持てなかったのでギターから遠のいていった。お年玉を叩いて買ったフェンダージャパンのジャズマスターは下宿のお飾りになっている。これは5年弱続いた。

高校から意識的に美術を初めてこれは今まで続いている暇があればなんとなく絵を描かなければならない気持ちになる。高校2年の時総体の文化部版の総文祭で出品した作品が県内で絵画部門で一番になったそれが一番高校生の時のよかった記憶だ。美大に行こうと思って都内の予備校へ行ったらそこでは一番うまいやつではなくなった。一年の頃から描いているが中の上くらいで止まってしまう。将来のことを考え出すといまやっていることとか好きなことが仕事になればいいと考え出す。絵を描いていればイラストレーターになればいいなとか、漫画を読んでいれば漫画家になれればいいなとか漠然とした夢を描いてきた。

何か一つのことをやっていると他のことが気になりだす。絵を描いていると絵ばっかり描いてないで社会のことを知らなければと哲学の本をよんでみたり社会の本を読んでみたりする。本ばかり読んでいると今度は運動をしたくなったり、また絵を描きたくなったりする。好きなことは小学生くらいからあまり変わってはいないがいくつかのバリエーションの中でぐるぐるしている。その中で作家になりたいとかイラストレーターになりたいとかデザイナーになりたいとか漠然とした何者かに憧れている。ただ純粋に楽しくて始めたこともこれで稼げるようになればとか打算が入ってくる。結局何者になるなんて後付けなのに漠然とした憧れを抱き続ける。

2020/06/16 日記

もう季節が進んで夏至が近づいてきた。地元に戻ってきたのはまだ桜が咲き始める前だったのに。時間が経つのが早い。残り少ない大学生活が終わろうとしている。この3ヶ月間は畑を手伝ったり、本を読んだり、映画を見たりしている。いろんな動画を見て勉強した気になっている。本という抽象的なものばかり考えていると実感がなくなっている。自分は何者なのか。これまで信じてきても多少の違和感があってもないことにしてきたものをなかったことにすべきなのか。実際にものを作っていないと自分がすり減っていく感覚がする。イラストレーションに憧れたこともあるがあまり絵をうまくすることに興味がないのかもしれない。ものを見ることへは関心はあるが綺麗に描こうとすると何だか抵抗したくなる。このコロナショックで景気がだだ下がりのタイミングで一人で東京で仕事をするのに気が進まない。またこの事務所で学びたい!なんて思うような事務所がない。デザインよりも自分の手でモノづくりをしたいという気持ちが大きくなっている。自分の好きなものを好きなように作りたいなんて甘ったるいことを言うななんて言われそうだ。ぼんやりとしたやりたいことなんて自立するのに邪魔なだけかもしれない。憧れだけでは仕事はできないのはわかっているが大学で評価されてことの自尊心が何者かになりたいと囁いてくる。自分は空っぽだと言う観念を胸を占めてしまう。

「オリーブの森で語り合う」を読んで

1984年 M・エンデ、E・エプラー、H・テヒル

今から36年前に西ドイツの知識人が、ファンタジー、文化、政治について語った対談集だ。この本の中で語られている問題は一つも解決していない。むしろ悪化し続けているようにさえ感じてしまう。ディストピアは容易に描くことができても明るいユートピアを描くことができていないのである。性別役割意識は日本ではまだ確固として社会の中に存在している。また、この当時と比べると日本では市民運動とういものが下火になっている。おそらく競争、成績、成長を第一に考える社会は無くならないだろう。それでも芸術や文学が人に与える影響や力は変わることはないだろう。いつの時代だってなんらかの問題で覆われている。あの頃はよかったなんて簡単言うが時代ごとの暗部が存在するのだ。文明がなくなるまで根本的な問題は解決することはないのではないか。ここ34年間社会的な構造はあまり変わっていないということになる。パンクだったり引きこもりだったり若者のその時代ごとに社会に反発している。若者の閉塞感はずっと変わっていない。この議論からこれだけの時間が経ってもポジティブなユートピアは見えてこない。ということは向こう側からやってくるものではなく暗闇の中であがいて何とかして見えるものなのかもしれない。理想を語るものは現実を見ていないと言われる風潮が強まっている。理想は実現しなければならないものではなく、現実を照らす鏡のようなものだ。理想がなければ現実は前に進んでいかない。理想はファンタジーである。芸術や文学は新しい意識を共有することができる。この本の中でわかりやすい結論は書かれていない。だからこそ、ジェンダー問題も政治問題も芸術の力についてもここでの議論がいつ読んでもなんらかの考えるきっかけをもたらしてくれる。