宮本常一著 「忘れられた日本人」を読んだ感想

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 そこに描かれていた日本人はとてもおおらかでエネルギーに満ちていた。いま二十代の私からすると6、7代前の幕末から昭和前期にかけて生きた人々が実際に体験したことを直接聞いたものを著者がまとめた本だ。この本が書かれてから半世紀以上が経っており、自分からしたら著者もひいひいじいさんくらいの距離感がある。当時の百姓、漁師は文字を読み書きできないものが多かった。多くの日本人が無文字社会の中で生きていた。彼らにとって1日は24時間ではなく日がのぼると1日が始まり、日が暮れると1日が終わるのであった。文字を持たぬことは他人との関わり方も大きく変わってくる。人々の意識も近代化とともに変化していった。

 コンビニでいつでも食料が手に入る現代の生活様式と比べるととてつもなく貧しい。百姓は朝から晩まで畑で作業をしてやっと飯が食える。お米だけのご飯はほぼなかったという。しかし、百姓の豊かさも地域差が大きく飢饉がきても耐えられる村は豊かな方だった。食っていくだけで精一杯の時代では娯楽が少なく、きつい作業を耐えるために作業や移動は歌とともにあった。利益をあげるための労働ではなく、食っていくための労働だ。歌を歌いながら働けばきつい労働も苦ではなかった。娯楽が少なかったからこそ仕事のなかに喜びを見いだすしかなかったとも言えるが。承認欲求を満たすことや自己実現なんて言葉が薄っぺらく感じてしまう。この本に出てくる歴史に名を残さない人の人生はとてもドラマティックだ。自分の人生を全うしているからこそではないだろうか。

 一方、当時の農村にも学問をしながら百姓をする人もいた。彼らは外部から知識を取り入れ村の中で指導者的な位置にいた。学会で名をあげることや出版した本をベストセラーにするなんてことは考えずに、ただ郷土愛と農民の生活をよりよくしようという理想を掲げて努力していたのだ。彼らには国の食料という根幹を支えている農村の民度の向上こそが国全体の向上であると信じていた。記録されずにいたら日本の農村、漁村の記憶や知恵が大きく失われてしまっていたと思うと先人たちの仕事の偉大さを感じる。

 読んでいるうちに百姓たちの勤勉さに驚いた。近代化によってより速く、より便利な世の中になった。飢饉で村がなくなるなんてことはなくなった。情報が一瞬で世界に伝わる世の中で、COVID-19ショックで世界中の人々が神経症のような状態になっている。こんなことは有史以来なかったことだったいう。村や寄り合いなどの中間共同体なしにSNSで直接社会と繋がることができる。その一方でストレスは増えていく一方だ。古いやり方や風習は面倒だと自由と楽を求めてきた結果が今の社会だ。自然を排除し、他者を排除してきた。世界は繋がっているがサプライチェーンという資本主義の原理でだ。今となって見ると捨ててはならないものを多く失ったことに気づかされる。「この世界の片隅で」のすずさんも「忘れられた日本人」の一人だろう。どんな時代でも自分の人生を全力で生きること私たちにできることなのかもしれない。