「書を捨て街へ出よう」を見た感想

こんな人にオススメ くすぶっている青春を送っている人

          表現のエネルギーを感じたい人

この映画は寺山修司監督で1971年の作品だ。寺山修司といえばアングラ演劇四天王と言われ団塊世代サブカル好きに熱狂的な支持を得ていた人だ。今二十代前半の人にとって馴染みはほとんどないがシャフト作品の演出や幾原邦彦監督に大きな影響を与えた。これらのアニメ作品に通じる演出があり元ネタの一部はここなんだなと思った。1970年代といえば学生運動が敗北に終わり挫折の時代らしい。個人的にこの映画で面白かったシーンは佐藤栄作の大きなお面を被って踊るシーンとタバコの銘柄の「peace」の空箱を燃やすシーンと自衛隊募集の紙に放尿しているシーンのモンタージュ。このご時世に安倍晋三のマスクをつけて踊るなんてしたら即炎上で監督の自宅に脅迫状がくるような世の中だ。今からみると言いたいことをこんなにスパッと表現していいのかと驚いてしまう。ちなみに安倍晋三佐藤栄作はどちらも山口県出身で親類関係にある。もう一つは路上でペニスの形をしたサンドバックをイライラしている人に殴らせようとするシーン。本筋とは全く関係ないが一種にパフォーマンスアートのようでもあり公権力への批判のようでもありユーモラスで笑えた。

1970年代は東京では近代化、都市化が進んできてはいるが、寺山修司の故郷の青森ではまだ田んぼが広がり、茅葺き屋根の民家でくらすという環境が残っていたのだろう。あるいは寺山の少年時代においては。寺山は土着的な日本がまだギリギリ残っていた世代なのだろう。青森の母からテープレコーダーでボイスメッセージが送られてきて友達にからかわれるシーンがある。故郷の母という存在は野暮ったくて土臭い恥ずべきもの思いがあったのかもしれない。

一方父親は戦争から帰ってくるも一時期はラーメン屋の屋台をしていたが今は無職だ。主人公が小遣いで屋台を買ってやろうとするが優柔不断な父親はそれを受け入れない。ここには戦中世代はあてにできないという思いがあるのだろう。

学校へ行っても目立つわけでもなく、部活では球拾いで貧乏長屋住まいの少年の焦燥が詰まっている。実験的映像とか言われているけどアラン・ロブ・グリエよりは内容があって楽しめた。田舎出身で上京し主人公と同じくらいの年齢の自分にとって主人公に感情移入できた。結局は革命の夢は敗れ、労働者としてマイホーム主義者になるしか道はないのだ。人力飛行機は遂には燃え尽きてしまうがという点では現在と変わらないがこの映画が作られた時代の熱量がとても鮮やかにうつる。