「田園に死す」を見て

田園に死す

寺山修司監督 1974年公開

こんな人にオススメ 上京して自分に悩んでいる人

          70年代のアングラカルチャーについて知りたい人

          独自の世界観に浸りたい人

この映画を見て一番強く感じたのは新世紀エヴァンゲリヲンへ強い影響である。テーマとしては親子関係、女性への強い憧れと恐怖。手法としては自己言及的な主人公、観客を揺さぶるメタ的な演出など。前衛的な映画と言われているが日本の深夜アニメへ元ネタ、元ネタの元ネタ、元ネタの元ネタの・・・と広く深く影響を与えている。ゼロ年代後半から少年時代をアニメを見て育った身としてはどこかで見たイメージが散りばめられていた。前作の「書を捨て街へ出よう」より表現と手法が洗練され純度の高い作品になっている。映像の絵作りは異形の人たちの見世物小屋のモチーフやエログロは1981年の漫画丸尾末広著「少女椿」から古屋兎丸まで広く影響を与えている。ガロの世界観をそのまんま映画にしたと言った感じである。

映画を通しても自分の人生をやり直せなかった私とは何者なのか。父は戦死してしまい不在である。母はいつまでも子供扱いし夫がいない寂しさから閉じ込めておこうとする。帰るべき田舎は思い出のかなで美化される。見世物小屋の中では演者の生々しい猥雑な関係が繰り広げられる。20年前の私、20年前の出来事をもとに映画を作っている私、ひたすらに自己言及を続けている。記憶の虚構性。自分の作品のインスピレーションに自分の幼少体験から得ることへの疑問。幼少体験を一度言葉にしてしまえばそれは体験でなく概念として固定されてしまう。記憶は美化され本当に当時感じていたことから乖離している。そこで20年前を映画の編集作業を通じて、または恐山を通じて追体験する。実際は地主の人妻との駆け落ちは失敗し、ててなし子は村中から疎まれ川に流された。20年前の母親を殺せば現在の私を変えることができると考える。しかし殺せないまま夕食を食べる。そこは田園の民家の壁は崩れ新宿の交差点の前だった。

感想を書こうとしたけどとても文章化しにくかった。細部まで作り込まれた美術と恐山の荒涼とした風景がワンカットそれぞれが絵画として成立するくらい美しい。美しい田園風景の裏には因習に満ちた息苦しい村がある。この映画を一言で言ってしまえば寺山の作家として葛藤が描かれているわけだが、それを表現する世界観が丁寧に作られている。この世代は自己の確立と社会の近代化が重なっている。とても個人的な映画だが似たようなことを考えていた人には深く刺さる作品になっている。あんまりうまくまとめられなかったけどこの映画は言語的体験ではなくて映像的体験ってことなんだろうな。70年代のアングラカルチャーを代表する作品だけど内容は普遍的で映像のクオリティはとても高い。また現代のカルチャーにも大きな影響を与えているので見て損はないと思う。