「庭とエスキース」を読んで

奥山淳志 著

北海道の新十津川で一人丸太小屋に住み自給自足を送る老人、弁造さんの元に通い共に過ごした写真家のエッセイ。弁造さんは大正生まれで北海道開拓時代の最後の世代だ。巨木が生える原野を家族で力を合わせて人々が暮らせる土地に作り上げてきた。弁造さんにとって大地に暮らすことのリアリティは都市で暮らす若者なんかと比べものにならない。食べ物を手に入れようとしてもまず土地の改良から始めなければならなかったのである。自給自足をしていても大量生産大量消費の資本主義を完全に否定するわけでもなく、新しく便利な技術への関心は持っているし自給自足は楽しくなければならないと言う信念を持っている。

エスキース

弁造さんは本気で絵描きを目指していた青年だった。通信教育で農作業の間で肖像画を描く技術を身につけ、農閑期には出稼ぎの合間を縫って遥々北海道から東京まで絵を学びに行った。しかし家族の問題で絵を描いて生きていくことを諦めざる終えなくなる。再び筆をとったのは歳をとってから。弁造さんは何度も何度もエスキースを繰り返し、本画にまでなかなかたどり着かない。膨大なエスキースから選びぬかれた一本の線。完成しない絵と向かい合う日々。エスキースは思考の過程が現れる。その線から書いた人が何を考え、何を感じてその線を引いたのかが生々しく刻まれる。エスキースは完成ではない。弁造さんは終わらない一枚の絵を描き続けていたのだ。

弁造さんにとって庭は四季の彩を与えてくれる場以前に大切な薪や食糧を手に入れるための場である。建材のためのカラマツやメープルシロップを取ろうとして種から育てたサトウカエデまで植えてある。貴重なタンパク源としてコイやタニシを取るための池。生きていくために必要なものは庭で作られる。弁造さんは現代社会がうまく機能しなくなった時のために誰かにこの庭が役に立って欲しいと手入れを続けていた。一から暮らしを作ってきた弁造さんだからこその思いではないだろうか。

写真と距離

文章を読んでいると自分の心の中に弁造さんが本当に浮かんでくるかのようだった。写真は過去の一瞬を留めておき、現像する時に再び切り取った一瞬として浮かび上がる。ファインダー越しに世界を見ている写真家と世界の距離と奥山さんを通して弁造さんを知るという距離感があることである意味でより鮮明さあるいは不確実さを生み出しているのではないだろうか。遠い誰かの日常、考え方が肌で感じられる。