「バトルロワイアル」を見て

深作欣二監督

2000年公開

 仁義なき戦いを見てから深作作品にハマってしまった。彼の作品のカメラワークのダイナミックさが好きだ。ライトノベルやアニメで一時期流行った多くのバトルロイヤルものがこの作品の影響下にある。日本のサブカルチャーに多大な影響を与えた作品である。この作品は今回初めて見たのだが何回か見たことある設定、シナリオが散在した。もちろんこの作品が元ネタである。ついさっきまで友達だったクラスメイトがゲームが始まると殺すべき敵となってしまう。傷つかない場所でのうのうとしている権力者に若者同士が殺し合いをさせられるというテーマは仁義なき戦いのことから変わっていない。深作欣二監督の反骨精神が70歳まで貫かれている。伝えたいことは変わらずに社会が変わっていき、それに従って表現も変わってくるとインタビューで答えていた。

 生徒にナイフで刺された上にクラス全体で授業をボイコットされた中学教師北野が生徒を矯正するするためにBR法を適用させる。北野のプライベートも悲惨だ。家族には嫌われて娘から帰ってこなくていいと電話で告げられる。日本人の大多数は北野でもなく理不尽な状況でも頭を使ってなんとか生き抜こうとする生徒達でもなく想定外が起きると何も動けなくなってしまい、北野の命令をただ黙って聞いているだけの軍隊なのではないだろうか。思考停止に陥っている大勢の大人を軍隊として描いているのではないだろうか。北野に生徒たちは理不尽な状況に追いやられるが北野もこの現実に対して絶望している。

現実の社会では勝ち逃げしようと必死に他人を出し抜いている連中も幸せそうではないし、そんな奴らにこき使われている人たちだって尚更だ。そんな真面目くさって社会を見てばかりいるとネガティブ思考が染み付いて鬱になってしまう。しかし、深作作品にはどんなにグロテスクなシーンがあったり、シリアスでどうしようもないシーンがあっても映画は喜劇であるという精神が通底している。臨場感あるカメラワークで血が吹き出しめちゃくちゃに殺されても、なんだかギャグのように感じてしまうのだ。社会の表層は不条理に満ちていて権力者の都合でクラスメイトと血と血を洗う戦いをしなければならくなった。そんな戦いを生き抜いても社会に居場所があるわけではない。しかし血みどろの戦いをギャグとして描くことで生きるということそれ自体は喜劇であると言う深作監督からのメッセージが聞こえてくる。