「風土ー人類学的考察」を読んで

和辻哲郎著 

グローバル社会にとっての風土

高校の現代文で扱った文章で文明には牧場型と砂漠型とモンスーン型があることが書いてあったのを覚えている。勿論人の性格やその国の特徴をステレオタイプを語ることは危険なことである。和辻がこの論考を書いたのは1930年代だ。外国との行き来が今とは比べものにならないほど困難な時代であった。そんな時代の中で世界を見て周り鋭い洞察力と幅広い知識を持って書き上げたのがこの本だ。白人至上主義の下欧米列強による植民地主義が世界を支配していた。黒人、アジア人は白人よりも劣った人種であり支配されて当然であるなんて考えがまかり通っていた。ヨーロッパ至上主義に反発し、それぞれの文明を風土によって相対化することが一つの目標だったのだろう。その国の文化は文字情報や旅行者の印象からでは理解に限界がある。どんなに異なった文化でもその土地に赴けば体感的に理解できる。その土地の光、空気、風景が教えてくれる。今アメリカや西欧諸国で大規模な植民地主義時代の歴史上の人物の銅像の打ちこわしが起きている。支配層にとっては偉人だが被支配層にとってはただの侵略者だ。大航海時代からの歴史の流れの転換点に今はあるのかもしれない。文化の差異は優劣ではなくその人たちが長い時間をかけて風土とともに形作ってきたものだ。これは異なった文化的背景を持った人たちが共に暮らしていく現代社会にとって重要なメッセージではないか。

人新世時代のの風土

芸術がその土地独自の形式を持ち得たのは過去の話とある。この時でもある程度は文化レベルでグローバル化が進んでいたということだ。それから更に時代が進み世界はもう近代文明一筋といった様相である。都市化がすすみ世界の大都市は高層ビルが立ち並び一見するとどこの国かわからないという現状だ。中心部だけでなく郊外も同じようなチェーン店が建ち並んでいる。生活のインスタント化が進み世界中であまり差異のないの生活様式が定着している。1世紀前よりも人々の暮らす環境は明らかに均質化している。人間の意識、文化は風土からの影響は少なくなっていると言えるではないか。そして人類の経済活動、生産活動によって気候変動が起き、人々の生活にも深刻な影響を与えている。これまで長い時間をかけて築き上げられた風土と人との関係が気候変動のよって変わってしまうのではないだろうか。人類が引き起こした気候変動によって人新世型の文化形態ができるのかもしれない。