「オリーブの森で語り合う」を読んで

1984年 M・エンデ、E・エプラー、H・テヒル

今から36年前に西ドイツの知識人が、ファンタジー、文化、政治について語った対談集だ。この本の中で語られている問題は一つも解決していない。むしろ悪化し続けているようにさえ感じてしまう。ディストピアは容易に描くことができても明るいユートピアを描くことができていないのである。性別役割意識は日本ではまだ確固として社会の中に存在している。また、この当時と比べると日本では市民運動とういものが下火になっている。おそらく競争、成績、成長を第一に考える社会は無くならないだろう。それでも芸術や文学が人に与える影響や力は変わることはないだろう。いつの時代だってなんらかの問題で覆われている。あの頃はよかったなんて簡単言うが時代ごとの暗部が存在するのだ。文明がなくなるまで根本的な問題は解決することはないのではないか。ここ34年間社会的な構造はあまり変わっていないということになる。パンクだったり引きこもりだったり若者のその時代ごとに社会に反発している。若者の閉塞感はずっと変わっていない。この議論からこれだけの時間が経ってもポジティブなユートピアは見えてこない。ということは向こう側からやってくるものではなく暗闇の中であがいて何とかして見えるものなのかもしれない。理想を語るものは現実を見ていないと言われる風潮が強まっている。理想は実現しなければならないものではなく、現実を照らす鏡のようなものだ。理想がなければ現実は前に進んでいかない。理想はファンタジーである。芸術や文学は新しい意識を共有することができる。この本の中でわかりやすい結論は書かれていない。だからこそ、ジェンダー問題も政治問題も芸術の力についてもここでの議論がいつ読んでもなんらかの考えるきっかけをもたらしてくれる。